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 三国志 出師の表
原文や書き下し文は正直意味が解りにくいので口語訳のみとします。
 先帝は漢と魏とは両立せず、王業を成すためには辺境の地に安住してはならないとお考えでした。それで私に魏の討伐を命ぜられたのです。
 先帝のご聡明により私の才能が敵に比べて弱いことはよくご存知でした。しかし魏を討たねば、王業も成し遂げられません。ただ座して滅亡を待つのと、討伐をおこなうのと、どちらが良いでありましょう。
 以上のような訳で先帝は私に賊の討伐を命ぜられ少しの疑いも持ちませんでした。私は先帝の命を受けてから、寝食も落ち着かずに北方の魏を討伐するには、まず南方の平定が不可欠と存じ5月にろ水を渡って深く不毛の地に入り込み、2、3日に一度の食事しかとらず、どうにか平定いたしました。これは決して私個人が自分の身を惜しまずに働いているというのではありません。天下統一の王業の為には、蜀という辺地に安住してはならないと考えますがために、危難を冒して先帝のご遺志にそわんとしているのです。
 ところが、これは良い計略ではないと議論する者がおります。ただ、今、賊はキ山での先頭に疲労し、東の方では呉との戦いに構えております。兵法にも。「敵の疲れに乗ぜよ」という言葉があります。今こそ進軍の時です。謹んでここに出兵の事を申しあげますれば、次の如くであります。
 その昔、劉邦のの英知は太陽や月と並ぶほど明るく、臣は淵の如く深い策をもっておりました。そうであってさえ危険な場所を通り、傷を負い、その後でようやく天下を安定させたのでした。
 今、陛下は劉邦に及ばず臣下は張良・陳平の技量にはおよびません。それなのに何かとてつもなくすぐれた策によって、座したままで天下を定めようとおられます。これが私の理解できない点の第一です。
劉ヨウ・王朗は州郡の長官として、それぞれの州郡を根拠地としておりましたが、彼らの議論は、何かというと聖人の教えをひきあいに出し、平和安定の計ばかりを論じておりました。そのために人々の腹は疑いでいっぱいになり、数多くの難題で胸もふさがれる状態となりました。
 今年も戦わず、来年も出兵せず。それで結局、孫策を居ながらにして強大にし、自分たちの州郡は呉の領土に併合されてしまいました。
 このような例があるにもかかわらず出兵をしないで国内で議論ばかりして私の討伐を良策でないと評するのは理解ができない第二です。
 曹操の智計は並はずれて優れたもので、彼の用兵ぶりは、古の孫子、呉子を彷彿とさせるものがありました。しかし彼でさえ南陽で張シュウに、烏巣で袁紹に、キ連で鮮卑族に、れいようで袁譚に追われ苦しめられ、北山では 趙雲に大敗し、どうかんでは馬超に追い詰められて、あやうく死ぬ所でした。
 その後で献帝を擁している強みで天下を偽り治めはじめたのです。ましてや、私は才が乏しく、危険を冒さなければ天下を統一することはできません。危険があるからと言ってしりごみするのは私の理解できない点の第三です。
 曹操は5回も昌覇の地を攻めましたが下せず、4回も巣湖を越えて呉の孫権と戦いましたが勝利を収められませんでした。李服を任用すれば裏切られて殺されそうになり、夏候淵に漢中の守備をまかせればわが蜀軍の黄忠のために敗北しました。先帝はいつも曹操は有能だと評されましたが、それでさえこうした失敗はあるのです。まして私は愚鈍な人間であり必ず勝つとは言えません。だからと言って必勝でなければ軍を出すべきでないと議論されることが私の理解できない第四です。
 私が漢中にまいりましてから、まだわずかに1年、その間に趙雲、陽グン、馬玉、閻之、丁立、白寿、劉コウ、トウ銅らの諸将、及び部隊長クラスの将、70余人、先鋒・前線の諸部隊、南蛮の部族長、西南の異民族長の率いる部隊、騎兵隊など一千余人を失いました。
 彼らはこの数十年のうちに各地から選び抜いて集められた精鋭であり、一州一国の中にそうそう存在するものではありません。このまま何もせずに数年を過ごせば、将兵の3分お2が老いて死んでしまうでしょう。そうなったらどうして敵を倒せるでしょうか。これが私の理解できない点の第五です。
 今、わが国は、人民は生活に苦しみ兵士たちは疲れておりますが、この軍事は中止する訳にはいきません。なぜなら。ここまできたら、討伐に出ても止まっても、苦労と費用は同じです。早い時期に勝負をかけないで、一州の領土だけで敵と持久戦をしようとしておられる、これが私の理解できない点の第六です。
 だいたいにおいて、軍事というものは、思い通りに平定することが難しいものです。昔、先帝が荊州の地で曹操に敗れた時、曹操は手を打って喜び、「これで天下統一ができた」といいました。しかし、その後、先帝は東の呉と連合し、西の巴蜀の地を平定し、北伐の兵をおこして夏候淵の首をとりました。
 これは、曹操の失計であり、わが蜀漢の天下統一の事業が成就しようという端緒でもありました。その後、呉が盟約をたがえて関羽は敗れて死に、先帝のおこされた呉の討伐軍も敗れ、魏の曹丕が献帝を廃して自ら皇帝を称しました。
 およそ物事というものは、全てを予見することは困難です。私といたしましては、あくまでもひたむきに己の全力を尽くし、死ぬまでやめない覚悟でおります。はたして成功するか失敗するか、今の私の眼力では予測することができません。

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