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地 名
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概 要
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いりょう
夷陵
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県の名。長江沿いに江陵からややさかのぼった所にある。現在の湖北省宜昌県の近く。劉備は関羽の敵討ちの為に東征にでるが呉の陸遜に敗れている。 |
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うりん
烏林
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現在の湖北省嘉魚県の西にあった。長江を挟んで対岸は赤壁山であり赤壁で敗れた曹操はまずは烏林へ敗走した。 |
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えいせん
潁川
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郡の名。現在の河南省で許昌の近くにあった。劉備が盧植の指示を受けて黄巾賊の討伐に向かい火計で勝利した地です。この時に曹操と初めて顔を合わせている。 |
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えん
燕
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国の名前。現在の河北省大興県一帯にあたり北京のやや南に位置していた。蜀軍の張飛はここの出身なので「燕人張飛」と名のっている。 |
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えんしゅう
エン州
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州の名前。現在の山東省西南部を中心とした一帯で、曹操が拠点といていたが、徐州への遠征中に呂布に奪われてしまい何度かの戦いの末に取り戻している。 |
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がいてい
街亭
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亭の名前。街泉という県にあった。現在のセン西省城固県の西にあたる。蜀の馬謖が、諸葛亮の指示に背き勝手な行動をとった為に、魏の張コウに敗れた場所。街亭の戦いが行われた所です。 |
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かこう
夏口
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漢水が夏水と名をかえ、長江に合流するあたりのことで、その合流点に江夏がある。
曹操に追われた劉備が、新野→襄陽→宜城→当陽→長坂→漢津を経て夏口まで逃げ延びた。 |
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がっぴ
合肥
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現在の安徽省合肥市。巣湖の北、淮南市の南にある。
215年、孫権が曹操軍の張遼と戦い、苦戦を強いられた場所。 |
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かひ
下ヒ
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県の名前。現在の江蘇省ヒ県に下ヒ城があった。徐州に属していて州城からの距離もさほど遠くはない。
曹操と劉備の攻撃を受けた呂布は城にたてこもり、部下に捕らえられて処刑された。 |
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かよう
華容
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県の名前。現在の湖北省監利県の北に県治が置かれていて、赤壁の西北にあたり、赤壁の戦いで敗れた曹操は、烏林から華容の路をたどって関羽と対峙するが関羽は曹操をあえて見逃した。 |
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かんこくかん
函谷関
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関の名前。河南省新安県の東北にある。もとは河南省霊宝県にあり、関城が谷中に造られていて函に似ているのでこの名前になった。関東と関西を分けるところである。 |
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かんちゅう
漢中
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郡の名前。現在のセン西省漢中。張魯がここで五斗米道による宗教王国を築いた。その後曹操に進入されるが、やがて劉備が奪い、漢中王となる。 |
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かんと
官渡
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現在の河南省中牟の近くにあった。
曹操軍と袁紹軍が、200年から201年にかけてここで戦っている。有名な「官渡の戦い」である。 |
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きしゅう
冀州
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州の名前。現在の河北省中南部、山西省の西端と河南省の北端。後漢末には韓馥が刺史をしていたが、袁紹に乗っ取られた。袁紹はここを本拠地としたが、曹操に官渡の戦いで敗れこの土地を奪われた。 |
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きょろく
鉅鹿
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都の名前。現在の河北省平郷県。戦国時代の趙の地で、項羽が秦の軍を破った場所。黄巾賊の首領の張角はここで生まれている。 |
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ぎょう
ギョウ
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漢代の県の名前で三国時代の魏はここを都とした。その為に当時の文学の中心になっていた。現在の河南省にあたる。 |
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けいしゅう
荊州
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州の名前で現在の湖北省、湖南省、河南省、貴州省、広東省にあたる。襄陽をはじめ武陵、長沙、江夏も属していた。
官渡の戦いの後、劉備はここに身を寄せていたが赤壁の戦いの後に孫権と荊州をめぐって争っている。 |
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けいよう
桂陽
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都の名前。荊州に属していた。現在の湖南省にあたる。
劉備軍が四郡を攻略したときに趙雲がこの地をとる事に成功している。 |
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けいよう
ケイ陽
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曹操が董卓を深追いして大敗した時に曹洪に助けられて危地を脱した場所。 |
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こうか
江夏
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郡の名前。後漢時代の都の中心地は、現在の湖北省黄岡県の西北に置かれていた。劉キが、諸葛亮の教えに従って守りについた場所。 |
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こうそう
広宗
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県の名前。現在の河北省清河県の東。ロ植が黄巾賊の張角と対陣していた。劉備は応援に駆けつけるが、潁川へ行くように指示されている。 |
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ごじょうげん
五丈原
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現在のセン西省。諸葛亮は5度目の北伐でここに陣を敷いたが、司馬懿は戦いに応じなかった。長引く戦いの中で諸葛亮は陣中にて没している。 |
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ころうかん
虎牢関
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関の名前で現在の河南省成コウ県の西北にあたる。洛陽から50里のこの地で、劉備、関羽、張飛の3人と呂布が戦っている。 |
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さいそう
柴桑
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県の名前。現在の江西省九江県の西南にあたる。荊州攻略に失敗した周瑜は、やむなく柴桑に引き返した。 |
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しすいかん
シ水関
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関の名前。現在の河南省成コウ県の西北境にあった。関羽はここで董卓軍の華雄を討ち取っている。 |
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しょうはい
小沛
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沛県のことでそこに属していたので小沛と呼ばれた。現在の江蘇省沛県の東。劉備は呂布にこの地奪われたが再び手を結んだときにここを居城としている。 |
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じょうざん
常山
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郡及び国の名前。現在の河北省正定県の南。趙雲の出身地として知られている。 |
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じょうよう
襄陽
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県の名前。現在の湖北省。荊州の中でも戦略上でかなり重要な場所で、ここを争う事が多かった。 |
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じょしゅう
徐州
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州の名前で現在の江蘇省の旧徐州府・胚県・山東省の旧エン州府・安徽省の宿県・シ県も含む。陶謙が牧をしていたが、曹操に攻められた。彼はこの時に救援に来た劉備に徐州をゆずった。 |
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じょなん
汝南
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郡の名前。現在の河南省汝南県のあたり。予州の州城にに近い。張飛が関羽に斬ってかかったのはこの地です。
官渡の戦いの時に劉備は汝南から兵を出して曹操を南、つまり背後から狙おうとするが失敗して荊州へ逃れている。 |
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しんや
新野
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県の名前。現在の河南省南陽県の南です。劉備は劉表からこの地を任されていたが曹操の南下の時に諸葛亮はこの城を焼いて逃れている。 |
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せいしゅう
青州
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州の名前。現在の山東省臨シ県にあった。曹操は、ここの黄巾賊を自軍に加えたことにより勢力を伸ばしていった。 |
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せいと
成都
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益州の中心地で現在の四川省成都市。四川盆地の西に位置している。城の内外に劉備の墓などがある。
214年に劉備が成都に入り221年に帝位につき、ここを首都としている。 |
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せいりょう
西涼
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涼州のことで現在の甘粛省。董卓はこの地から兵を洛陽に進め、その後は馬騰が収めていた。馬騰が曹操に殺された後に馬超がここで兵を挙げて長安を襲っている。 |
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せきへき
赤壁
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長江の南岸、江夏と南郡の中間にあり対岸は烏林。南下してきた曹操を孫権軍、劉備軍の連合軍が火計により破った場所。三国志の中でも有名な「赤壁の戦い」が行われた場所である。 |
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だんけい
壇渓
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襄陽の近くを流れる川でも特に流れが急な所と推測される。おそらく白河と漢水の合流地点あたりのことだと思われます。 |
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ちょうあん
長安
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前漢が都を置き、隋や唐もここに都を置いた。後漢末に董卓も洛陽からここに遷都している。その後、西涼の馬超が曹操軍に攻撃をしてきた時もまずはここに攻めてきている。
現在のセン西省西安市の一帯です。 |
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ちょうさ
長沙
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郡の名。現在の湖南省長沙市一帯。長沙市は、洞庭湖の南東、湘江の右岸にある。孫堅は長沙の太守だった。劉備軍が四郡を攻略した時、関羽は長沙を攻め、ここで黄忠と戦った。 |
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ちょうはん
長坂
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劉備軍が、南下してきた曹操軍と戦って敗れた場所。新野から南に下ると、襄陽があり、その南に宜城、さらに下って当陽がある。その少し西が長坂である。
趙雲が阿斗を救い、張飛が曹操軍を恐れさせたことで知られる古戦場。 |
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ちんりゅう
陳留
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郡および国の名。郡治は現在の河南省開封の東南に置かれていた。のちの献帝は陳留王だったことがある。董卓の手を逃れた曹操は、いったん陳留に着き、そこから檄を飛ばした。 |
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なんよう
南陽
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郡の名。郡治は宛に置かれていた。現在の河南省南陽県。張繍を南陽宛城に攻めた曹操は、ここで鄒氏の美しさにおぼれ、典韋失う。 |
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はくていじょう
白帝城
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現在の四川省奉節県の東、長江がクトウキョウとよばれるあたりの北岸に白帝山があり、その山上にあった城。222年、劉備は陸遜に敗れて白帝城に帰り、翌年没した。 |
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はくぼうは
博望ハ
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南陽郡、博望県にあった。諸葛亮はここで曹操軍を迎え討ち、初陣をかざる。 |
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はようこ
ハ陽湖
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江西省の北端部にある。周ユはこの湖で水軍の訓練をしていた。 |
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ぶりょう
武陵
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郡の名。現在の湖南省常徳県の一帯。劉備軍が荊州の四郡を攻略したとき、張飛が攻め落とした。武陵城のキョウ志は、太守・金施の首を取って降伏を申し出る。 |
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へいげん
平原
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郡および国の名。現在の山東省済南市を中心とする一帯。北は黄河い面している。公遜サンの推薦によって、劉備はここの相となったことがある。 |
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へいしゅう
ヘイ州
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州の名前。現在の山西省太原市を中心とする一帯。袁紹がおさえていたが、のち、魏に属する。 |
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ほくかい
北海
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郡の名。現在の山東省益都県から東、エキ県にかけての場所。後漢時代の郡治は、現在の山東省寿光県の東南にあった。後漢末には孔融が北海国の相となり、孔北海と呼ばれた。 |
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ぼくよう
ボク陽
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現在の河南省清豊県の南。194年、曹操が呂布と戦い、陳宮の策にはまり火傷をおった場所。 |
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ぼっかい
渤海
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郡の名前で現在の河北省天津市より西南で河間からの一帯。袁紹軍の武将である、文醜の出身地である。 |
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めんちくかん
綿竹関
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関の名前。漢代の綿竹県は、現在の四川省徳陽県の北にあたり劉備軍が荊州から蜀に侵攻した時に蜀軍の李厳と費観が守っていたが共に劉備軍に下っている。 |
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ゆうしゅう
幽州
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州の名前。現在の北京を中心とする一帯です。中国でも北のはずれにあたり、幽昧の地にあたるのでこの名前がついた。 |
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ようしゅう
揚州
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州の名前。現在の江蘇、安徽、江西の一帯で袁術が拠点としていた。孫権が呉の国を建国したときに都にした建業(現在の南京)も含まれている。呉国の中心地であった。 |
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よしゅう
予州
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州の名前。現在の河南省一帯で東は揚州、西は荊州に接し。許昌の南にあたる場所。劉備はここの牧に任命されていた時には劉予州とも呼ばれていた。 |
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らくよう
洛陽
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後漢時代の首都で現在の河南省洛陽市。董卓はここを焼き払って長安に遷都している。 |
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れいりょう
零陵
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郡の名前。現在の湖南省零陵県の一帯で劉備郡が荊州四郡を攻略した時に零陵太守の劉度は、降伏している。 |
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ろうそんそん
楼桑村
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村の名前。現在の河北省、北京の南西にあり劉備の出身地。有名な桃園の誓いもここで行われた。 |
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わいなん
淮南
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郡の名前。現在の安徽県淮南市、一帯で袁術が拠点として197年にここで皇帝を名乗った。 |